農作物から情報の味がする【コラム】

 

 限りある昼休憩にて

ついつい即席麺で食事を済ますという事が、筆者にはある。時間も掛からぬし、お財布にも優しい。塩分、カロリーの消費量と摂取量とのバランスも悪くない。ズババババン!と汁を飛び散らせて食べるとなお美味い。最近のカップラーメンは美味しいものが増えている。ズバンッズババババンッ!外仕事だからこそできる青空食事法である。

ラーメンを食べている時にふと思い出した事があった。いつぞやどこかで目にしたことのある「人は情報を食っているのだ」といった趣旨の言葉である。

文脈としても、確かにラーメンについてだったと記憶している。

行列店のラーメンを、消費者はうまいうまいと分かったような口で言い、その対価を喜んで支払うが、その実、彼らの言う“美味い”は、メディア露出や様々な広報、マーケティングによって付加された情報でしかなく、ラーメンそのものは味の質を著しく落とした、マーケティングしやすく分かりやすいUSPを効かせているだけのものなのだ。といった見下した論調であったズバババンッ!

なるほど、一理あるのかもしれない。筆者が今食しているカップ麺だって、本当に味そのものが旨いのかと問われると、途端にあれだけ美味いと思っていたものに対し疑念が生まれる。ちゅるり

キー!騙された!!ポップで目を引くデザインや「シコシコ麺」「出汁のうま味たっぷり」表記に騙されたのだ!!……と手にしているカップを放り投げたりはしない。所詮即席麺。筆者は時間と手間を買っているのだ。ズバババッ

しかし、情報を食っている、というのは言い得て妙である。

特に農業の世界においても、一つの作物の取引価格に対する50%以上が情報である事が少なくない。農業を愛しているからこそ言うが、たかが食材である。高級腕時計ならば、ブランドイメージを生み出し維持していくために平均取引価格の何十倍もの価格を付ける事もあり得るだろう。しかし、農産物である以上、せいぜいJAの産地ブランディングで大きなロット数をバックに数十円程度の付加価値を乗せる程度が常識的ではないだろうか。

 オーガニック、有機栽培であることを売りに、野菜を倍以上の価格で販売しているような例もある。

農薬や化学肥料を使わないから、個人の思想として、宗教として、環境への投資として倍の価格を支払うのだというのであれば納得がいく。

しかし、一時のブームを経た今になっても、有機無農薬だから美味しい、安全、といった文脈で語られる事が無くなっていない事を考えると、やはり人々は情報を食べている、情報にお金を支払っていると言ってしまってもあながち間違いではないのだろう。

 

有機栽培で生産された農作物と、慣行栽培で生産された農作物に本来安全面で差はなく、生産者の技術レベルの差によるところが大きい。

適切な指導下にないまま有機栽培に取り組む場合、堆肥の量を正確に計算できなかったり、害虫を完全に放置したりすれば、逆に有害物質を生み出す事だってあり得るのだ。逆に慣行栽培では、間違った農薬散布や施肥設計をすると、これも危険であるが、組合での慣行栽培の場合、農家の指導、出荷される作物のチェックをしているため、安全面はある程度担保されている場合が多い。

食味を左右する糖度や酸度、水分含有量においても、有機物質を投じようが、直接無機物質を投じようが、植物に吸収される時点では無機であるため、どちらを与えても同条件であれば植物にとっては全く違いなく、品質差が生じるのは、あくまで光合成が効率よく行われる環境を作れているかどうかでしかない。

 

夕方のTV情報番組等では、タレントが畑に直接行って採れたての野菜を生で食し、「あまぁーい」とリポートしている。新鮮だという情報は、農産物にとって非常に大きな価値を認められている。小売店では、農産物の新鮮さをポップや広告、店の作りで演出し、いかに価値を付加できるか試行錯誤を繰り返す。

事実、新鮮である事は食味に一定の変化を与える。収穫した瞬間を100%だとすると、選別袋詰めされ、出荷、市場で競り落とされ小売店に並び、最終消費者に購入され食卓に並ぶまでに、大凡3~4日経過しており、それだけ経つと現代の保存技術では、水分量は2~4%程度、糖度は0.5%程度目減りする。Phにはほとんど変化がない。

トウモロコシやエダマメなど、この例に漏れる場合もあるが、ほとんどの場合、同時に食べ比べてもほとんど食味の差は感じない。

たかだか5%程度の変化である。

それなのに我々は、数値以上の価値を、新鮮さや栽培方法などの情報に感じてしまう。

ここまで言っておいてなんだが、筆者は、これを悪いことだとは思わない。例え支払う金額の半分が実の無い、情報だったとして、その情報を美味しく食べられるのなら、そこに価値は存在するのである。農作物と同時に、情報を美味しく味わう消費者の度量が、平坦地の少ない国土の農業をなんとか盛り立てる事に深くつながってくるのではないだろうか。

作物の背景を、またストーリーを伝え、思いも一緒に食してもらう、美味しい情報も届けることがこれからの農家には必ず求められる事であると、筆者はそう考えつつカップ麺の汁を、容器の毒性だとか添加物だとか諸々の負の情報と共に、後悔すると分かっていながらも飲み干す。ズズバババッ。

うーん、この情報の味は、苦い。

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